⑨「お金について」 長文です・・・。クレジットカードの恐怖

2016年。。。ワールドカップのおかげといいますか、5か月間収入がえらいことになってしまったので、その分クレジットカードというものに頼りまくった数か月を送ったわけです。


そのツケを、、、死にもの狂いで払ってます。

もうね、、、本当に、、、地獄、、、ようやくなんとか通常の返済サイクルに戻すことができました。


僕は今29歳。20代は、自分に投資する!そのためにはお金は惜しまない!という理念のもと生きてきました。

それは間違ってなかったと思います。

でも、唯一間違っていたのが、その手段に、クレジットカードを使ったということです。

はじめてカードを持ったのが、2008年、大学4年生の時。。50型プラズマテレビを買うために、15万を現金で払い、足りない10万をカードで分割にして買いました。その時僕は、クレジットカードの魔力に取りつかれたのです。

僕は買い物も95%をカードで支払います。千円以下の買い物も、、、なんだったら、300円くらいの買い物の時は、少額で恥ずかしいからって、いつかは使う消耗品を一緒に買って、1000円くらいにしてレジにいっていたくらいです。

恐ろしい。。。。


結果、毎月10万円以上の金額をカードで支払っています。もう8年ほぼ毎月です。

2016年は一番ひどい月で、20万円の支払いが来ました。

そんなことだから、現金が常になくて、結局カードを使う。。。その繰り返し。

たまに臨時収入があると一括返済しますが、「カード今綺麗な状態だから、また思いっきり使える!」という何とも救いようのない考え方により、一括返済後は余計にカード使いが荒くなる始末。。。

クレジットカード。。。。それは、悪魔のカード。。。


しかし、本来「借金」というのは、100%「悪」ではありません。

特に僕のような低所得者は、手持ちの金がなくても「今」手に入れることができる、まさに「時間」をも買うことができる素晴らしいものです。
カードがなければ、12万円のカッティングプロッタなんて買えなかった。。。結果、義経と弁慶も作れなかった。。。

クレジットカードは使い方さえ間違えなければ、人生を劇的にいい方向へ導ける、素晴らしいアイテムなのです。


でも、僕は使い方を間違えていたようです。



つい最近まで、支払が遅れていたので、カードが止められていました。そんな中、何とか現金を作って、MGのキットを買いました。

いつもはレジでカードで払う約3000円。。。なんてことはありません。月末にくる10万円のうちの3000円。。。微々たるものです。


会計の瞬間。レジで札を3枚も出す。。。その瞬間、僕は完全にテンパってしまいました。そしてとっさに。。

「ポ、、ポイント全部使ってください!!!」

結局約半額で購入できました。


MGって、、、こんなに高いものだったっけ。。。。




金銭感覚が完全に崩壊していたことに、29歳になってようやく気付いたのです。


今僕は、月末に10万円口座から自動で引き落としされることよりも、レジで3000円払うことの方が恐怖なのです。


その日を境に、僕は決意しました。


クレジットカードを封印しよう!!!


僕を昔から知っている人がこれを見たら、「ようやく気付いたか。。」とため息をこぼすでしょう。


僕はクレジットカードを有効に使う器が育っていないのです。だから、封印します。

そのためにも、今3枚あるカードもすべて綺麗に一括返済しないといけません。


・・・・は・・・?3枚??

そうです。なんと、、、つい最近まで、3枚すべて止められていました。今は一応すべて使える状態です。

しかも8.9月は、ワールドカップにすべてをささげたので、収入もないのに製作費は飛んでいく、、、どうしようもなくなり、決して手を出してはいけない「リボ変更」に手を出してしまいました。それだけはやめようと8年間耐えてきたのに、、、

30歳まであと3か月。。。でも、それに気づいてしまったからには、3か月前倒しです!

20代は、、、、

自分に投資する!つまり、「インプット!!」


30代は、、、、

これまで投資し、蓄えた知識を 「アウトプット!!!」


ということです!

当たり前のように買っていたものも、買う前にじっくり考える。。

「毎月買ってたけど、これ、本当に必要か???あれで代用できるんじゃないか?中古が出るまで待ってもいいんじゃないか??」

今までは。。。

「悩んだってどうせいつか買うんやから、今買って少しでも早く経験した方が、人生濃くできるやん!」

まあ間違ってはいないと思いますが、それができるのは高額所得者です。

マンガも毎月のように出ますが、レンタルで済ませられるものはそれでいいじゃないか!ということで、数百冊この数か月で売りました。(まあ返済で泣く泣くでしたが。。)

ダイエット中の僕にとって唯一の楽しみ、コカコーラゼロ、アクエリアスゼロ。1.5リットルボトルの買いだめ。。。辞めましょう、、、お茶で十分。。。

無駄なドライブ、、、ガソリンを現金で支払う恐怖も最近経験、、、ビビッて1000円しか入れれなかった、、、




現金というものの尊さ、、、クレジットカードに取りつかれてしまうと、それが見えなくなってしまいます。

これからはすべて現金払い。ネットショップでの買い物も、コンビニ払いや銀行振り込みで。

30歳からではなく、30歳になるまでに金銭感覚を通常に戻し、なおかつ3枚すべての借金を一括返済してカードを封印する。これが残り3か月の目標です。まあそうですね、、、今年中に多分できます。借金といっても、百式とクローゼットのお宝たちのおかげで、だいぶ返済できました。でもまだまだです。。。

だもんで、とにかくガムシャラに頑張らないと、、、


というわけで、ヘビーな話になりましたが僕が言いたいのは。。。


お金の使い方はしっかり考えようぜ!!!ということです!!!!


長文シリーズ①「読書」
長文シリーズ②「変化」
長文シリーズ③「国境なき医師団」
長文シリーズ④「幸福な時間」
長文シリーズ⑤「夢」
長文シリーズ⑥「成長」
長文シリーズ⑦「本を読まないあなたへ」

長文シリーズ⑧「一番大切なこと」 
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⑧「一番大切なこと」 長文です・・・。最高にかっこいいおじいちゃん

先日母方の祖父が亡くなりました。88歳でした。

おじいちゃんは大工さんで、なんと75歳まで現役だったそうです。頼めば何でも作ってくれて、学生時代の夏休みの宿題はよくおじいちゃんに頼っていたものです。僕のものづくりDNAは間違いなくこのおじいちゃんから受け継いだものです。

今回このようなことになり、おばあちゃんと「おじいちゃん」について話しました。そして、初めて知るおじいちゃんの顔を知ることになりました。

僕はてっきり大工一筋60年みたいな感じだと思っていました。でも実は 国鉄 に就職していたということを初めて知りました。国鉄といえば立派な公務員。ボーナスも出て、順風満帆な人生を約束されたようなものだったそうです。

でも、おじいちゃんはなぜか国鉄を辞めます。そして、全く関係のない家具職人になり、そののち大工さんになったそうです。

なんででしょうね??今となっては辞めた理由なんて聞けませんが、きっとおじいちゃんは、お金より大事な物を追いかけたのだと思います。

おじいちゃんは8人兄弟だったそうです。 末っ子だったおじいちゃんは、兄弟たちに
「折角国鉄に就職したのに辞めるなんて、、、お前は貧乏人だ!!!」

と馬鹿にされ続けたそうです。そうやってバカにしてくる兄弟たちを、おばあちゃんは大嫌いだったそうです。僕も面識はありませんが大嫌いです。

そのせいか、おじいちゃんは決してムダ使いをしない人でした。家に入れる生活費は毎月きっちり必要な分だけ計算しておばあちゃんに渡し、残りはきっちり貯金。テレビも見ないし、エアコンもほとんど使わない。。。
大工という仕事はボーナスもないし、国鉄みたいに安定した高給ではないため、兄弟たちのことも相成って倹約家になったみたいです。

おじいちゃんは、たぶんそもそも初めから大工になりたかったんじゃないでしょうか?
家族が許さなかったのか、時代がそうさせたのか、勇気が足らなかったのか、、、かなりの勇気を必要とした決断だったと思います。


でもその甲斐あって、自分の旅立ちの費用や入院費、そしてやがてついてくる自分の妻の旅立ち費用など、自分で稼いだ金で自分たちの最後をちゃんと締めくくれるだけのお金を残していきました。一家の主として、職人として、こんなに素晴らしいことがあるでしょうか?

僕はおじいちゃんを心の底から尊敬しています。

でも、

おじいちゃんの生きざまを見ていて、本当に残念に思うことがあります。


おじいちゃんは晩年、認知症にかかりました。

75歳まで現役だったおじいちゃんは、退職後、わずか5年で認知症になりました。いや、前触れはもう少し前からあったはずです。

それまで別々の家で暮らしていましたが、おばあちゃんの負担が大きいので、おじいちゃんが82歳くらいの時に一緒に暮らすことになりました。

始めのうちは物忘れが激しくはなったものの、まだ僕の知るおじいちゃんでした。でも、認知症を遅らせる薬の影響か、いつも寝てばかりで、ご飯の時も眠気眼で、症状はみるみる進行していきました。

そしてデイサービスのお世話になるようになり、最後の1年くらいでしょうか・・・もう病院のベッドの上にほとんど寝たきりの状態になりました。

認知症になってしまったおじいちゃんは、自分のこともよくわかっていないようで、おばあちゃんが「この人ダレ?」と母を指さして聞くと。。。
「・・・・・・・・わからん。」

自分の娘もわからないようになってしまいました。でもなぜか、僕と姉だけは

「・・・・・・・・・ゆうすけやろ?」

なぜか覚えていてくれました。一説には近しい人から忘れていく、という話もありますので、そう考えれば僕は遠い存在だったということになってしまいますが(笑) でもやっぱりうれしかったです。

この記事を書いている今日、葬式に出席しました。2日前、病院から「もう危ない!」という知らせを夜中の1時半にもらい、急いで駆け付けたものの、着いた時にはもう亡くなっていました。それだけが心残りです。何度も「ありがとう」と伝えました。理解できなかったとしても、できれば生きている間に伝えたかった。。。。。

そのおじいちゃんは、僕の中にいるちょっと無愛想で職人の匂いのする頑固な亭主関白な男!というイメージから完全に逸脱した、骨と皮だけになってしまった別人でした。

半年前にも「今晩ですね」と言われていたので、みんな心の準備ができていたため、取り乱すことなく見送ることができました。
そう考えれば、よく半年も生きてくれたものです。

僕は昔、正社員になりたくて資格の勉強をしていた頃、

「仕事は何でもいい!とにかくみんなみたいに普通に働いて老後はためたお金で小さな模型屋さんをやろう!」なんて思っていました。


「老後の楽しみ!」とか、「退職するまでの我慢!」とか。。。良く聞きますよね?皆さんの周りにも、そんなこと言ってる人いるんじゃないですか?

でも本当に 「退職後のバラ色の生活」 なんてあるんでしょうか?そりゃある人はたくさんいると思います。「やっと仕事から解放された!好きなことやるぞ~!!」・・・素敵ですね。

でもおじいちゃんは、退職後わずか5年で認知症になってしまいました。そう。おじいちゃんは退職後、自由に過ごした5年間より、認知症を患い自由を奪われた8年間の方が長いんです。

おじいちゃんは大工という仕事に誇りを持っていたと思います。大好きたっだと思います。じゃないと、お金のためだけに75歳まで働けないと思います。そう考えればおじいちゃんの5年は、決して短いものではなかったかもしれません。

でも、40年働いて一生懸命貯金して我慢して耐えて、、、ようやく老後だ!というとき、自分の体は、はたしてその気持ちにこたえることができるのでしょうか?


認知症になる原因の一つとして、

「退職によって目標を失ってしまうことで生まれる喪失感」があるそうです。
おじいちゃんはきっと仕事を辞めてしまってから、新しく目標にできるものがなかったんだと思います。

母が小学校1年生の時、おじいちゃんは自分の家を建てました。大工としてたぶん一番の目標ではないでしょうか?それから娘は結婚し、孫も生まれ、、、、親として職人として、やることはもうすべてやってしまったんじゃないでしょうか?

もちろんそれは素晴らしいことだとは思いますが、新たな目標を見つけられなかったことが認知症になってしまった原因だと思います。



人が生きていくうえで一番大切なこと・・・・・・それは


「常に何か熱くなれるものをもつこと」だと思います。


それは人それぞれ、さらには年齢や立場によっても変わっていくものかもしれません。

彼女と過ごす時間かもしれない、子供と遊ぶ時間かもしれない、仕事にがむしゃらになって取り組んでいる時間かもしれない、趣味に時間を忘れて没頭する時間かもしれない、夢に向かって邁進する時間かもしれない。。。。

でも、一生を通じてその大半は大抵なくなってしまうものだと思います。

彼女はいつかは嫁になり、恋人だった時とは違った見方をするようになるでしょう。子供はいつか自立します。仕事はいつか定年退職をほとんどの仕事で迎えます。

人は歳を重ねるたびに、新たな「熱くなれるもの」を探し続ける生き物だと思います。それを辞めてしまった時、人は一気に老いていくのだと思います。

おじいちゃんはがむしゃらに働きました。趣味を楽しむこともろくにせず、一途に大工という仕事に人生をささげた結果、「熱くなれるもの」を失った途端、新たに「熱くなれるもの」を探す事が出来なかったようです。


僕の父はもう定年退職していますが、毎日寝てばかりです。 衣食住以外にしていることといえば、食器洗い(食洗機があるので大半は機械任せ)、風呂洗い(2日に1回くらい) 映画 (洋画劇場とか) 普通にテレビ、、、、ぐらい。本当に家から出ません。何もしません。

このままでは認知症になってしまう!!!…そう思った僕は、なにか熱くなれることを見つけてもらうキッカケになれば、、、と思い、手先が器用な父のために蒸気機関車のペーパークラフトをプレゼントしました。カッターとかノリとか、、、全部で4千円くらいでしょうか。。。ぼくでも完成させるのは難しいと思うような本格的なやつです。

これをキッカケにして趣味にでもしてくれたら。。。と思ってあげました。最初はせっせとやってたようですが2割くらい進んだところで埃を被る結末を迎えてしまいました。

多分父も認知症になってしまうんでしょう。。。それより先に肺ガンかな???(父は自分の父が肺がんで亡くなったのに、たばこをやめませんでした。正直理解できません。)


。。。。。。。。。。。。。。。

皆さんは「熱くなれるもの」をお持ちですか?


僕はあります。たぶんこの目が見える限り、この手が動く限り、ドップリ魅了され続けるんだと思います。

皆さんはどうですか?恋人との時間ですか?仕事ですか?家族との時間ですか?趣味ですか????

そのどれもが尊く、素敵なものだと思います。ただできれば、 一生熱くなれるものを今のうちに一つ、見つけてみてはいかかでしょうか?1人でできるものが「なお」よいかと思います。

お金はとてもタチの悪いものです。いくらあってもいくらあっても足りないと感じます。退職した時、「この先老後のためにこのお金はちゃんとおいておかないと、、、」なんて考えが間違いなく浮かぶでしょう。もしかしたら 「病気になるかもしれないから。。。」とか、、、、おじいちゃんは、お金というものに、少々縛られすぎたんじゃないかな。。。って僕は思ったんです。

今、できるだけ時間と体力があるうちに、何か行動に移しておかないと、老後時間がたっぷりあるからその時思う存分考えよう!なんてたぶんできないと思います。


人は 「今」 を生きています。

今考える 「老後」なんて、その時が来てしまえばそれは 「今」なんです。


昔テレビを見ていたら、ある芸人さんが言ってました。

『人は笑う為に生きてるんだ』

そしてまたある芸人さんはこう言ってました。

『今日という日が続けばいいなって思うんですよね(笑)』

今日という日を笑って過ごすことこそ生きてるってことなんだって思うんです。そう考えると、最後の8年間は、おじいちゃんの笑顔なんて、ほとんど見れなかったな...



人の脳は27歳から劣化がスタートする、という記事を見たことがあります。いや、脳細胞は20くらいを境に死滅する一方だ、という話も聞いたことがあります。

今マンネリに苦しんでいませんか?会社と家を往復する毎日に嫌気がさしていませんか?

「仕事」は簡単にやめるわけにはいきません。でも、どんなに忙しくても何か脳が、胸が熱くなるような「何か」を探す時間くらいはあるかと思います。マンネリは脳にとって劣化の一番の原因です。

なにも認知症にならないように何かしよう!と言っている訳じゃありません。ただ、やっぱり何か「熱くなれるもの」を常に持っている方が人生楽しいじゃないですか!!!

おじいちゃんみたいに立派な財産を残せる自信は正直ありませんが、職人として立派に散ったおじいちゃんのように、自分のケツは自分で拭けるかっこいい大人になりたいものです。





長文シリーズ①「読書」
長文シリーズ②「変化」
長文シリーズ③「国境なき医師団」
長文シリーズ④「幸福な時間」
長文シリーズ⑤「夢」
長文シリーズ⑥「成長」
長文シリーズ⑦「本を読まないあなたへ」

長文シリーズ⑧「一番大切なこと」 

⑦「本を読まないあなたへ」 長文です・・・本当は読みたいんだけど。。。のあなたへ。

本を読まないあなたへ。。。

「お前も大人なんだから本くらい読めよ!」

こんなことを言われたこと、一回くらいはあるんじゃないですか?

営業マン時代、先輩に本を渡され読んでみたものの、正直今は内容もタイトルも何もかも覚えてません。

なぜか、、、そう。これが本を読み始めるコツ。

自分で選んだ本を読むこと!

「せっかく時間とお金を割くんだから失敗したくない!オススメの本教えてもらおう!」

・・・・これではほぼ間違いなく本を習慣にはできません。なぜなら出会いに「トキメキ」がないから。

僕の買い方は。。。とりあえず端から流れで見ていって、

「お!?」

この本を手に取る。この「お!?」とは、

①綺麗
②色合いがいい
③タイトルになんか引っかかる

そして本を手に取り、表紙をみて。。。

④デザインが自分好み
⑤帯のコメントを見る

そこで初めて中を見ます。ここまでいかずに本棚に戻すのは、たぶん3割くらい。で、パラパラめくってみて。

⑥書体が自分好みか
⑦読みやすいか

そして、「初めに」つまり、最初の3ページくらいをザ!ッと読んでみます。しっかりは読まず、あくまで ザ!

学生時代、参考書を買うとき、自分的にいい感じだな。。。と思うものをレジに持っていきませんでしたか?そんな感じです。

こんなやり方でいいのか???

いいんです!!!!

最初はこの方法では、買った本の4割くらいはハズレ!ブックオフ行です。・・・いや、正確に言うと、

今の自分に合う本ではなかった」


ということ。

本とは生き物。今の自分が必要としている、知りたいこと、それを書いている本が、向こうからサインを送ってきます。それが、「お!?」です。

それは、何冊も読んでいくことによって、そのセンサー、感度は磨かれていきます。今では買った本の9割5分は「いやいや、、、いい本だったな(^O^)」となります。

僕が初めて読んだ本は、小学校のころに読んだ「ライト兄弟」いまでもよく覚えています。なぜそれを読んだのかはさっぱりです。

それから27歳まで、トータルで15冊くらい??覚えてるのは、「ポケモンの秘密」「E.T」「福山雅治 旅路」こんなもんでしょうか(笑)

とにかく、本は大嫌い!!!  「マンガでいいじゃん!!!」 これが僕の27年間で出した答えです。

そこからなぜ本を読むようになったかは長文シリーズ①で。

「どんな本を読めばいいのか、どんな本があるのかが分からない!」

という方も多いかと思います。

今僕は ①自己啓発 ②心理 ③ライトエッセイ ④経営学 ⑤仕事術 などなどをよく読みます。。。まあ「娯楽」よりも「勉強」の方が割合は多いかもしれません。

Q「そんなんで楽しいの!?」

A.「めちゃくちゃ楽しいです!」

そもそも、なぜ大人たちは 本を読むことを勧めるのでしょうか?
僕は小学校の頃、先生にやたらすすめられて、その理由をこう解釈していました。

「本を読めば漢字を覚えることができるし、国語力もついて、有名な芥川とかの知識も増えるから」

つまり、学校の勉強の一環としてとらえていたのです。これでは読書を毛嫌いする方が増えて当たり前です。僕もそうでした。

読書は楽しいもの。そうでなければわざわざ金払ってまで買ったりしません。

僕が本を読む理由。それは、

「読めば読むほど、前に進む力をくれるから!」・・・ちょっとわかりにくいですか?(笑)ちょっと時間をさかのぼって説明します。

2年ほど前、読み始めたころは・・・

「20代でやるべきこと」「自分を好きになる方法」「人としてどうあるべきか」

このあたりの本が自然と目に入ってきます。
それらを少しずつ自分なりに学習していくと今度は

「好きなことを仕事にする方法」「人付き合いについて」「勉強することの意義」あたり・・・これらの本ばかり目につきます。そして今度は

「人としてどうあるべきか」「傷つかない方法」「傷つけない方法」「好きなことを仕事にすると結果どうなるか」


つまり、、、今自分が知りたいこと、知識が足りていないこと、実は全く勘違いしていたことなどなど。。。そういったことを勉強していくとどうなるか?

A. 自分を愛せるようになる
自分が大っ嫌いだった僕が仮に何かとしようとして動き出した時、愛してもいない自分の考えを支持できるでしょうか?そんな自分の考えを受け入れることができるでしょうか?「周りが否定するから、、、やっぱり自分の考えは間違ってるんだろうな。。。」となってしまいます。

すべては自分を愛するため。これはボクだけに当てはまることじゃありません。そしてその結果周りも愛することができる。一番近くにいる自分すら愛せない人間に誰かを愛するなんて無理です。自分を愛することができれば自分の決断に自信が持てる。だから進める。

人はいつだって迷う生き物です。「俺のこの道は正しいのか?」「夢への道はこれで合ってるのか?」

迷った時、最後に信じる事が出来るのは、たくさん勉強して貯めた「知識の引き出し」を駆使して出した答え。同じ人間と毎日顔を合わせ、毎日同じことの繰り返し、そこに一石投じる気がない。。。この刺激のない毎日で、「知識の引き出し」を増やすことができますか?

本はわずかな代償を支払うだけで、普段の生活ではなかなか得られない情報を教えてくれます。その情報は、ネット上であふれている責任を伴わない軽く無責任な情報とは違います。

本を出す人に共通していること。それは

「本を出した人は、自分が直面したピンチ、挫折を味わった出来事を克服した方法をみんなにも知ってもらいたい!」

この共通した想いのもと、本を書いている場合が多いと思います。(純文学、小説などを除く)

人を愛する方法。こんな本を書いている人は、大抵過去自分を愛せないことで苦しんだ経験をしている人です。
でもこの人はそれを乗り越えた。自分と同じ境遇で苦しんでいる人を救いたい。。。本を書こう!

好きなことを仕事にする方法。こんな本を書いている人は、大抵やりたくない仕事をしてやりがいのない毎日に苦しんだ経験をした人が多いです。

そう。今あなたが抱えている悩みなんて、過去に誰かがすでに経験していることなんです。その乗り越え方なんて、本屋に行けば大抵あるんです。



さて、ここまで読んでいただいたあなた。こう思っていませんか?

「俺、別に悩みなんて無いけど・・・ということは、本なんて読まなくていいんじゃん!」

いえいえ。。。それは誤解です。

悩みがない。それは人とし決して「いいこと」ではありません。悩みがないということは、「挑戦していない」可能性が大です。
日々を惰性で過ごしている人は、今の自分にある種の諦めを抱いている人が多いのではないでしょうか?僕がそうでした。

「俺は凡人。天才じゃない。仕事なんてこんなもんだ。友達も同じようなこと言ってる。俺だけじゃない。」
「仕事は嫌なもん。好きなことを仕事にするなんて非現実的だ。そんなこと成立するのは選ばれた一部の人間。俺は違う。」
僕はそう思ってました。自分を凡人だ、と諦めることで、悩むということから解放された(逃げた)のです。

でも僕は毎日悩んでいます。いろいろです。書ききれません。心折れそうになることもあります。

でも、はっきり言えることは、

「惰性で毎日過ごし、悩みなんて無かった頃に比べて、毎日悩んで苦しんでいる今の方が圧倒的に人生楽しい!!!」ということです。

先日オークションに出品した際、落札者様からこういったメッセージを頂きました。

「全身全霊で創られる真のモデラーさんだと感じます。」
「大事に展示させて頂きます。好い作品に巡り合えて幸せな気持ちです。ガンプラでココまで高揚するのは久しぶりでございます。」(許可なく転用して申し訳ありません。)

このメッセージを見た時、心臓の鼓動が早くなるのを感じました。そして、数日間の苦労がすべて吹き飛ぶ高揚感、圧倒的幸せが僕の脳を駆け巡りました。

こんな幸せを感じることができるようになったのも、読書に出会ったことがすべてのキッカケです。

仕事でこんな幸せを感じることができるなんて。。。知らない世界に本が導いてくれたのです。

セミナーに3万円かけて行くのもいいでしょう。一人旅に50万かけて出るのもいいでしょう。でも、、、1000円札一枚、100円玉2枚で知らない世界への扉が目の前に現れるのだとしたら。。。。。。


「1冊読んだ。でも何も変われない。。。。」  この時点で読書を辞めたらダメです。僕は行動に移すことができるようになるまで100冊近くかかりました。
人は寝てしまえばすぐに感動なんて忘れます。次の日には前日の50%の感動が10%程度になってます。3日目には1%くらいといった具合に。。。


だから、10%になった翌日にまた読んで51%にしてください。そして寝て起きたら11%。

そうやって少しずつ積み重ね、100%を越えたとき、きっとあなたは自分の知らない世界への第一歩を踏み出すことができると思います。
別に転職を勧めている訳じゃありません。今の仕事にも知らない世界、やりがいがあるかもしれません。それを追求してからでもいいと思います。でも、それでもやっぱり今の仕事、人生に飽いているのなら、、実は本当にやりたいことがあるのなら。。。

一度100%を越えたら、数日はそのままでいられます。でもあくまで数日。せいぜい3日か4日くらいでしょうか?その間に行動に移してください。


「やりたいことがない。趣味もない。」
「今の仕事にやりがいがない。どうしてもうまくいかない。」
「自分が嫌いだ。」
「何をしたらいいかわからない」
「自分に何ができるのかわからない」

キッカケなんてこんなもんです。何でもいい。彼女に振られた理由がわからない。友達がいない。何でもいい。わからない問題があったら手を挙げて先生に質問したあのころのように、本屋に行ってみてください。

最初にレジに持っていった本が、そして100%を越えさせてくれた本があなたの運命の1冊として、一生の宝物になると思います。



長文シリーズ①「読書」
長文シリーズ②「変化」
長文シリーズ③「国境なき医師団」
長文シリーズ④「幸福な時間」
長文シリーズ⑤「夢」
長文シリーズ⑥「成長」
長文シリーズ⑦「本を読まないあなたへ」

長文シリーズ⑧「一番大切なこと」 












⑥「成長」 長文です・・・ボクという人間。

今回は、文字どおり、「ボク」についてです。
興味のない方はズバッとスルーでお願いします(笑)

僕は自慢じゃありませんが、友達が少ないです(笑)
多分人によっては孤独死してしまうのでは?というくらい少ないと思います。

原因は何だろう。。。と考えてみると。。。まあそんなもんいろいろあるわけですが、根っこの部分を掘り下げてみると・・・・。。。やはりいろいろ出てきました。

ぼくの親は転勤族でした。幼稚園を2つ、小学校を3ついきました。当時の僕は筋金入りの人見知り。。。ご想像の通り、地獄でした。
特に、方言を笑われるのは本当につらかったです。小学校6年生の時、神戸に引っ越してきましたが、関西特有の「いじり」というものに、日々苦しみました。

自分の愛する町の言葉を笑われる屈辱、言い返せばその方言をまた馬鹿にされる。。。「いじめ」ではなかったのですが、十分つらい体験でした。
最初の4か月くらいでしょうか・・・休み時間は、廊下に椅子を持ち出して、窓から校庭を一人で眺める毎日を過ごしました。

だから、という訳ではないかもしれませんが、人と話すことがあまり好きな子供ではなかったような気がします。

1人でいれば傷つかずに済む、1人でいればなんだって自由じゃないか!そう考えていたような気がします。

中学校に上がると、吹奏楽部へ。なんと男子が同学年で1人。友達がいなかった訳ではありませんでしたが、どうしても音楽が好きだったので、、、当時はまだ女の子といれる喜びよりも、男友達と一緒に楽しく過ごしたい!という思いの方が圧倒的に強く、部活中にほかの部活をのぞいたり、1人でうろうろ動き回ったり、、、
しかも3年になったら部長なんてやりだすものだから、余計に孤立したような気がします。
嫌われ役ですからね。。。言う方も子供、言われる方も子供。いい思い出もありますが、中学3年間は「孤独」という印象が強いですね。

高校。部活は入らず帰宅部。ちなみに、高校の友達と今現在交流はほぼ皆無。高校時代はおこずかいをひたすらマンガに費やしました。マックスで1200冊。それだけが生きがい!くらいに思っていたかもしれません。
友人に「将来はマンガ喫茶でもやれば?」なんて言われる始末。あとはカラオケ、ゲーム、くらいでしょうか・・・模型は3年間で4個くらい作ったかな?ほぼ覚えてません。。。

大学。建築大学に行きましたが、結局すぐに興味を失い、日々を惰性で消化 する毎日。
大学時代の友達は、今は2年に一回くらいお呼びがかかりますが、2回に1回出席する程度。というか、学生時代に大学の友人と遊んだのは、多分5回もなかったはずです。誘われても断ってました。ちょっと自分だけ場違いな空気というんでしょうか・・・居心地が悪かったかもです。それでもいまだに誘ってくれるのは本当に有り難いです。

学生時代、こんな16年をすごした僕は、1人の時間を過ごすことに「苦痛」よりも「安心」という感覚を覚えるようになりました。
1人でいられない人っていますよね?僕からしてみれば「そんなにみんなといて疲れないの??」とさえ思ってしまいます。

1人でいる時間。。。実は本当に大切なものだとも思います。
一人でいる時間は、自分を見つめられる時間です。僕の趣味は 模型(今は仕事)読書、ギター。。。全部一人でできるものばかり(笑)年をとればとるほど、尊いものだと思います。

ただ、友達が少ないことを悲観した時期も当然あります。いや、人生の割合で言えば、そっちの方が多いです。とくに学生時代は。(今はもうないかな?)

なんでこんなことになったんだろう。。。

そんなの決まってます。

僕が「一緒にいたいやつ」じゃなかったからです。

中学生くらいの時、姉に言われたことがあります。
「あんたは人を見下してる!」

正直全く理解できませんでした。でも、多分そうだったんでしょう。そんな気はもちろんありませんでした。僕はコンプレックス満載の人間です。自分じゃ気づかない自分のこと。正直怖いですよね?

そして、2年前くらいかな?父とケンカしたときにこういわれました。

「お前は人の苦しみが理解できないのか!?」

父が息子にこんなこと言います!?・・・でも、そこまでいうからには、やっぱりそうなんでしょう。冷静に考えれば、思い当たる節はいくらでも出てきます。

高卒の友人のそばで高卒の人のことを悪く言ったり、頭髪の悩みを抱えている友人に対して傷つくことを平気で言ったり、、
もちろんそんなこと言ってはいけないのは分かっています。でも、後になって(あんなことなんで言っちゃったんだろう。。。)ということが山ほどあります。

ざっくり言ってしまうと、僕は 「自己中」「空気が読めないイタイ人」なんでしょう。

新卒の時、営業職に就きました。「家の外壁塗装しませんか?」という飛び込み営業です。
毎日先輩の横で泣いていました。
「自分がこんなにできない奴だったなんて、思いませんでした。」
「なんであんな事言われなきゃいけないんですか?仕事一生懸命してるだけなのに・・・」

もう毎日愚痴ばかり。。。今思えば毎日僕以上に仕事をこなし、毎日ヘロヘロになるまで働いていた先輩に対し、うんざりするほどネガティブなワードを一方的に投げつけていました。
「いつも泣いてばかりで、迷惑かけてすみません。」と言った時、「自覚できてるなら大丈夫やで」と先輩は言いました。自覚できてるなら???できてなかったらやっぱり迷惑だったんでしょうね汗

同期にこんな人がいました。

一番僕と仲がよかったのですが、彼から出る言葉は会社の悪口、先輩、上司の悪口ばかり、、、
「アイツ嫌いやわ!!」「なんでこんなことせなあかんねん!」「こんなはずじゃなかった・・・」「あ~~辞めたい!!」

ある日上司に「お前ら今日1日一緒に回れ!」と言われました。地獄の1日でした。

僕がチャイムを鳴らしお客さんと話しているときに、後ろでお客さんをにらみつけるようなまなざしでふて腐れて・・・仕事に結びつくわけありません。丸1日愚痴を僕に浴びせ続けました。

「じゃあ今すぐ辞めろや!」

これが言えたらどんなに楽か・・・・
結局その日の最後に、上司に「彼とは一緒に回りたくありません」と言いました。

彼は結局一か月で退職。最後は上司に怒られてそのままやめました。ネガティブな空気は伝染します。彼が言いたいことを全部ぶちまけて辞めたとき、支店の中は最悪の空気でした。
後日彼から連絡がありましたが、結局新しい会社の愚痴ばかり。。。上司に退職届を出すよう迫られているという内容の電話を1時間ほど続けられました。

周りの環境を変えても、自分自身が変わらなければ、結局何も変わらない。
「今の自分が満たされていないのは、周りの環境が悪いからだ!俺は悪くない!・・・・・」

ちがいます 。 もちろんブラック企業というものがある以上、仕方がないケースもありますが、(僕のいた会社も県内では有名なブラック企業でした)それに甘えていては何も変わりません。

。。。でも、それに近いことを、先輩に僕自身やっていたのです。

結局お世話になったその先輩に、何も恩返しすることなく2か月で退職しました。2か月間、ただただ僕の愚痴をやさしく聞いてくれた先輩に、仕事ができない僕を守り続けてくれた先輩に。。。

この時、僕は自分が大嫌いになりました。

仕事の帰り、駅から自宅まで車で帰るわけですが、その道中、制限速度50キロ程度の道で、130キロくらいまでアクセル踏みこんで、「このままハンドル切らずに吹き飛んでやる!」なんてやった事もありました。でも、結局最後にはビビッてブレーキ。。。
(こんな俺なんて、死んでしまった方がいい。家族に無視され、友人も少なく、先輩の期待にすら応えられない俺なんて、死んだってだれも悲しまない。。。)
車の中だけが唯一の安心できる空間。チャゲアスに励まされ、なんとかギリギリのところで踏ん張ってました。泣きながらYAH YAH YAHを拳を上げて車の中で無理やり歌って(叫び散らして)いたときは、もうやばかったな~・・・

あと一か月続けていたら、完全に心をやっていたと思います。2か月で辞めてよかったです。

僕の心を完全に折った出来事があります。

たまたまチャイムを鳴らした家が、なんと中学時代の美術の先生の息子夫婦の家だったのです。
目があった瞬間、「あ~久しぶりですね!」お互いすぐにわかりました。
しばらく雑談した後そのまま別れましたが、後日その近所でチャイムを鳴らそうと家を物色しているとき、庭に出ていた先生に呼び止められこう言われました。

「横田君、なんかどろぼうみたいやで!」

俺が毎日苦しんでいるこの仕事は、世間から見たがどろぼうと等しい行為なのか。。。
実はその後、実際にチャイムを鳴らした家の奥様に「あんたしつこいねん!どろぼうに入る気か!」と言われました。

そしてもう一つ。別の先輩の一言。
「横田はもっとできるやつやとおもってたわ。」

人と会話をする。いままで人よりその経験値が低かった僕は、ますます人と会話することが苦手になりました。(なぜか人見知りは若干治りましたが。。。)

人生で経験したアルバイトは、工場、工場、工場。。。。人と会話しなくて済む仕事ばかりです。

「周りの環境を変えても、自分が変わらなければ何も変わらない」

社会は僕のような人間を必要としていませんでした。
勤め先を変えても、結局長くは続かない。上の3つの工場のうち、1つは上司とケンカ、もう一つは人間関係にうんざりして辞めています。

「このままではだめだ!」

そう思ったきっかけは正直覚えていませんが、バイト生活を卒業しようとして、資格を取ろうと思い立ったのがすべての始まりでした。その頃は「必要とされる人になりたい!」なんて大それた感情はなく、とにかく人として何とか社会に溶け込まないと。。。くらいのものでした。

いくつか資格を取り、自分に少しずつ自信を抱くようになった頃、読書に出会い、これまでの自分に向き合う機会を得ました。というか、ほぼ毎日向き合っています。

正直地獄です(笑)

自分がどれだけ醜い人間なのか、、、それをまざまざと突きつけられるのです。何度同じような本を読んでも、「また同じ失敗してるな、俺・・・」という具合に。。。
僕はノートに取りながら本を読むのですが、読み返すのが正直怖いです。

これまでたくさんの人を傷つけました。家族、友人、仕事仲間。。。こうやって書きながら思うことは、「後悔」がいつも大半です。僕がこんな感じでたまにだらだら長文を書くのは、自分を改めて活字におこすことで見直す機会を得るためでもあります。

ただ、「後悔」というネガティブな感情は、決して何も生まないわけではありません。

後悔するからこそ、嫌な思いをするからこそ、人は「二度とこんな後悔したくない!」と、学習できます。というか、学習しないと相手を傷つけてまでした経験が、本当に無駄になってしまいます。そしてさらに、新たな傷を相手に与えてしまいます。

人は簡単には変われない。これは残念ながら真実だと思います。だけど、だからと言って、自分自身をより良い方向へ変えることを怠けていてはいけません。言い訳にしてはいけません。

(ちなみに。。。冒頭でぼくの方言をいじってきた女の子。。。その3年後、中学3年生の時、ジョーダン交じりにそのことをその子に話したところ、自分が僕をそんなに傷つけていたことに驚いたようで、後日謝罪の手紙をくれました。)

自分自身が変わらなければ、環境を変えたところで何も変わらない。

人は、「何か大切なものを失ったことに気付いた時ようやく変わるきっかけを得ることができる」生き物なのかな・・・と思ったりします。

僕が今の仕事にする決心をすることができたのは、高橋歩さんの語録集「夢は逃げない 逃げるのはいつの自分だ」の中の言葉

「嫌だからといって会社を辞めるのは逃げ?嫌なことを続けることの方がよっぽど逃げだぜ!」
この言葉のおかげで僕は今の仕事につくことができました。なぜこの言葉で決心出来たのか。。それは

「多大な時間を失ったことに気付いたから」です。

もっと早く模型に専念していれば、僕の夢はもっと近くまで迫っていたかもしれない、、、今のレベルに数年前に到達していたはずなのに。。。

もう失った時間は戻りません。毎日惰性ですごし、「早く終わらないかな・・・」以外の感情がほとんど欠落していた数年間。本当に無駄な数年間でした。


僕と同じ経験をしてほしくない。せめて僕のことを知っている人には。でも、残念ながら人を変えることはできません。そもそも、そんなものは有難迷惑なものです。

自分自身、大切なものを失った時、そういった実体験がないと、そして失ったことに気付かないと、人は変われないんだと思います。

だれでもこんな時期はあるのでしょうね。

僕は多少長すぎたのかもしれませんが、そんな自分を最近は許せるようになりました。
責めても仕方ありません。僕は寝る前、自分をほめて寝ます。

「今日は良く頑張った!」「部屋綺麗に掃除したな!えらいぞ!俺!」「間食我慢したな!良くできた!」

カンペキな人なんていません。自分を程よく許し、寝る瞬間、今の自分の持っている「幸せ」を噛みしめて明日を楽しみに妄想しながらいつの間にか眠りにつく。。。後悔は寝る直前にはしません。

こんな自分を愛する。愛している自分の決断だからこそ、自分の決断に誇りや自信が持てる。出来ることならもっと愛したい!だからこそもっと勉強して、もっと後悔して、もっと成長して。。。

少しでも必要とされる人になるために、自分の悪い部分を認め勉強し、できればこれからは「失う」前に、自分のやるべきことをやっていきたいと思います。

長文シリーズ①「読書」
長文シリーズ②「変化」
長文シリーズ③「国境なき医師団」
長文シリーズ④「幸福な時間」
長文シリーズ⑤「夢」
長文シリーズ⑥「成長」
長文シリーズ⑦「本を読まないあなたへ」

長文シリーズ⑧「一番大切なこと」 

⑤「夢」 長文です・・・。 趣味の中に夢を見つけた幸せ。・・・長いですよ。。。本当。

皆さんは「趣味」というものをお持ちですか?

初めて会った人にする質問で、これは外せないと思います。

そして大体6割くらい、いや、もっとでしょうか? 「いや、別にないかな?」という答えが返ってきます。

「休みの日は何してるの?」と聞くと 「いや、まあパチンコ行ったり、パソコンいじったり、友達と飯行ったり、、、それくらいかな?」

いわゆる「無趣味」という人があまりにも多いことにつくづく驚きます。

僕は小学校時代、ピアノを習っていました。正直やりたいなんて言った覚えはありませんが、「もうやめたい!」とごねると、「あんたがやりたいって言ったんやろ!」といわれ、嫌々7年間くらいつづけました。もちろんやる気もないので、めっきりうまくならず、6年生の時神戸に越してきて、ピアノ教室が近くになかったのをいいことに、辞めてしまいました。

ただ、中学に上がった時、音楽の授業で出会ったギターにちょっとハマってしまいました。

嫌々やっていたとはいえ、音楽は好きでした。なので、なんだかんだ音楽に飢えていた僕は、親に「ギター買って!」とねだりました。すると親は、「半分出してやるから後は自分で出しなさい!」といい、結局2万5千円の初心者用ギターを買いました。

それからというもの、ギターにドップリハマりました。今思えば初めての趣味だったのかもしれません。
最終的には駅前にてギター一本で歌うくらいまでハマってました。

今現在、僕の趣味はと聞かれたら、「読書」「ギター」と答えます。ちなみに1年前くらいだったらそれに「プラモデル」が加わっていたわけです。

ただ、実は中学1年生から今現在28歳になるまで、ずっとギターにハマっていたワケではありません。

高校1年生くらいの時でしょうか。。。僕は初めて、ギターのケースを前に広げて駅前で歌いました。そう、いわゆる「お金ください!」スタイルに挑戦しました。ただ、結局2時間歌って600円だけ、、、この時、自分の腕にある種の限界や落胆という感情を抱いたのです。

今思えば、そんなの当たり前です。というか、初めてで600円も入ったんだ!という考え方もできますが、当時の僕はそれ以来、少しずつギターから離れていきました。

中学校の時、僕は将来 音楽関係の仕事がしたい!と思っていました。中学の卒業前にクラスで作った文集の クラス内でいろんなランキングをしよう!みたいな企画で、将来歌手になりそうな人ランキングで見事1位になったことがあります。(ちなみに いいパパになりそうな人ランキングでは、クラスでボク以外全員僕に票を投じるという奇跡も!(ちなみにただ今独身(笑)))

でも、落胆以降、僕は少しずつ自分の将来に希望を見いだせなくなっていきました。

というか、今思えばそんなに本気になっていなかったと思います。将来音楽関係の仕事をしたい!と本気で思っていたならそれくらいでへこたれないでしょう。

当時の僕のこの感情は、あくまで「理想」に過ぎなかったのです。

「理想」なんて誰にだって抱けるごくごく安いものです。「宝くじ当たらないかな?」「女優と付き合いたいな」その程度のものだったのです。

それすら失った僕は、もうどうしようもなく、さらに勉強もさっぱりだった僕は、結局「あんたにサラリーマンは無理!手に職付けなさい!」という親の進言もあり、建築学科のある芸大に進学することに。

でも、もちろんそんなものに興味などあるわけでもなく、半年くらいで「これ、違うな・・・」
一応ちゃんと卒業できましたが、4年間本当に熱意も何もなくだらだら過ごしてしまいました。

「大学は遊ぶところだ!」

だれが言い出したんでしょうね?はっきり言って嘘っぱちです。大学は本気で将来を考え、その下準備を4年かけて行う場所です。そして、本気で遊び、本気で愛せるものに出会うために時間を気にせず行動する場所です。

結局それ以降親と数年にわたり対立するわけですが、それは長文シリーズ ② で書いてますので割愛。


「趣味を仕事に」

皆さんはこれをどう思いますか?

僕は趣味だった「プラモデル」を仕事に選びました。理由は、「夢」を見つけたからです。

wildriver荒川直人さんの個展を見て、こんな夢を抱きました。

「作品集出して、個展を開きたい!」

これが僕の「夢」です。これは、子供の頃に描いた 「理想」とは違います。

この話をしたとき、こんな反応をされることがあります。

「趣味は趣味にしておいたほうがいい」

もちろんその気持ちは分かります。僕もギターを仕事にする気は一切ありません。
それに、趣味を仕事にするということが、必ずしも正解ではありません。

ただ、僕はこう思います。

人生で一番時間を費やすものはなんでしょう?80歳で死ぬとして、、、いや、人間いつ死ぬかなんてわかりません。そう考えたら、間違いなくそれは「仕事」です。

4年前くらいでしょうか?僕はサラリーマンに憧れていました。当時僕は工場勤務のアルバイタ―。サラリーマンになりたくて、簿記2級の資格をとったり、ワード、エクセルを勉強したり、、、、

いや、憧れというより、「サラリーマンが一番安定していて、確実!というか、それ以外選択肢はない!」

ギターも中途半端。模型も中途半端。建築はさっぱり。もうサラリーマンしかありません。

そんな時、荒川さんの個展に出会い、「読書」に出会い、少しずつ僕は変わっていったわけですが、それは長文シリーズ ①で。


人生で一番時間を費やす「仕事」に 「夢」がないって、どうなんでしょうか?

いや、勘違いしないでください。サラリーマンの仕事に夢がないと言っているわけではありません。
「年収1千万稼いでいい家を買ってやる!」「高級腕時計を○歳までに!」「歴代で一番早く出世してやる」
それぞれの仕事の中で、人それぞれ夢を抱いて頑張れば、どんな仕事でも輝き熱い毎日を過ごせると思います。

でも僕は、趣味の中に夢を見つけてしまいました。

こういう場合、みなさんはどうしますか?

「趣味は趣味で。休みの日に楽しんで平日は普通に働いたらいいじゃないか?」

もちろんこれも一つの答えだと思いますし、ほとんどのモデラーがこの回答の元、毎日頑張っています。

でも、僕はどうしてもそれが耐えられないのです。

本格的に模型にかかわったのは大学4年生から。正直スタートは遅いです。それに、模型製作には時間が必要です。うまくなるには数をこなすのは必須です。そして、僕の夢はモデラーとしてとてつもなく高い山の上にあります。

僕の「夢」が「理想」だったら、多分サラリーマンを選択していたでしょう。

「趣味」というのは、「責任だの成績だの、何も考えずに没頭できて、仕事や私生活で受けたストレスや疲労などを癒してくれるもの」だと僕は思います。

僕の趣味はギターと読書です。
読書は出会って1年ほど。寝る前に20分くらい。最近はほぼ毎日読んでます。
ギターも最近になってまた弾き始めました。この記事を書いている頃は、弦を変えるついでにネックの反りを直しているところです。ギターは僕にとって、あって当たり前の存在です。これに関しては「趣味は趣味で」というのが当てはまります。

親とケンカした時、学校で嫌なことがあった時、つらいことがあると、部屋で泣きながらギターを抱えてぽろぽろ泣きながら弾いてました。今でもそうです。僕の大切な友人のような存在です。信じられないくらい下手糞ですが。。。

好きなことを仕事に。その条件は 「その先にどうしても叶えたい夢がある」だと思います。
ギターに夢はありません。だからいつまでたってもうまくならないし、仕事にしようという概念すら生まれません。

「夢」を叶えるために その1段下の階段に「目標」を立てる。その「目標」を達成するために1段下にさらに「目標」を・・・そうして逆算して、僕が最初に掲げた目標は、「コンテストに応募する」でした。

そして今の目標は「コンテストで優勝する」です。
今年達成する予定だったんですが、ダメでしたね汗

でも諦めません。夢はあきらめない限り、いや、諦めた人から順に夢を見る権利を失っていくものです。
「夢」があるから困難に耐えられる。夢もないのにこの厳しい世の中でもまれたら、いつか心をやってしまいます。



最近読んだ本で、衝撃の事実を知りました。

「夢」という言葉を アメリカの辞書で引くと 
強く願い努力すれば実現できるもの
対して日本の辞書は
はかないもの。叶わないもの。」

衝撃でした。アメリカンドリームとはよく言ったものです。

僕ら日本人は、子供の頃から、夢を持つことを大人たちに否定されてきたのです。
「夢ははかなく叶わないんだ!だから現実を見なさい!」

去年、仕事を辞めて2か月くらいの時、たまたま2つ上の姉と車の中で2人きりになりました。
まだ親にも、模型を仕事にするとは言ってなかった訳ですが、就職活動の時、僕と同じく親と揉めた姉なら、僕の気持ちを親よりもわかってくれると思い、「姉には話してみよう」 ・・・そして僕は、「プラモデルを作る仕事することに決めたから・・・」と言いました。すると姉は、こう言いました。

「え!?もう。。。将来私に迷惑かけんといてよ!!!!」

・・・心の底から後悔しました。なんでこんなやつに話してしまったんだ。信じた僕がバカでした。信じた人に裏切られるというのは、本当にさみしいことです。
人の仕事を侮辱する人間は、例外なく自分の仕事にも誇りを持てない人間です。本気で仕事に誇りを持ち、目標、夢を持ち邁進している人は、人それぞれ違う価値観を持ち、夢を持ち、仕事に上も下もないことをちゃんと知っているからです。

僕の一大決心を まるで下等生物を見るかのような目で嘲笑い、呆れてものも言えないと言わんばかりの空気を車内で充満させました。
一生この人を信用しない、仕事や夢の話はしない、と誓いました。(ちなみにこの時も後に部屋にこもって泣きながらギター弾いてました。本当に悔しくて。本当に弱いですね汗 恥ずかしいです)

夢は 諦める ことだけじゃなく、 諦めさせられる 事の方が多いのかもしれません。

ちなみに僕の夢は、小学校の時は オペラ歌手 (なぜここにいったのか自分でも不明) でした。それから自然に現実を見るように仕向けられ、夢はサラリーマン!といつの間にかなっていました。(社会のせいというか、まあこれは自分のせい?)さらに言うと、サラリーマンを目指して資格試験の勉強をしていた時は、将来老後は模型屋さんでもやりながら模型三昧の毎日をおくるぞ!なんて思ってました。「今」を捨ててすでに老後の話を・・・論外です。

好きなことなら本気になれる!だから自然とレベルも上がって、到達したくなる高みを想像するようになる。そして、その先にある夢を見つけ、意識するようになる。

最初は趣味レベルでも、掘り下げてのめりこんでいけば、それが夢になり、もしかしたら仕事というものに行きつくのかもしれません。

人生で一番時間を費やす仕事。その仕事を熱く輝くものにする為必要不可欠なもの。それが「夢」です。

無趣味や夢がないことを嘆く暇があるなら、何かに感動することです。感動するためには、自分から感動しに行かなければなりません。行動しない人に世の中は何もくれません。神戸から東京まで個展を見に行くという行動をしていなければ、感動をしに行っていなければ、僕は夢を持つことはできませんでした。

夢を持ってはいけない!という社会を 鼻で笑って一蹴してやれるような熱い毎日を過ごせる今の仕事に、夢に、僕は毎日感謝しています。

まだ「口だけ野郎」かもしれませんが、口だけでも言える自分をぼくは気に入ってます。

長文シリーズ①「読書」
長文シリーズ②「変化」
長文シリーズ③「国境なき医師団」
長文シリーズ④「幸福な時間」
長文シリーズ⑤「夢」
長文シリーズ⑥「成長」
長文シリーズ⑦「本を読まないあなたへ」

長文シリーズ⑧「一番大切なこと」