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⑧「僕の名前」 長文です・・・。 仮の姿?

僕の名前は

「横田ユースケ」

です。

「ユースケ」は本名と同じで表記を変えています。


以前

「もっとかっこいいグローバルなハンドルネームにしたらよかったのに」

と言われたことがあります。

この名前にしたのには僕なりに理由があります。


僕は親からしてみれば 「期待外れ」 でした。

親の希望する進路からはずれたことで、新卒の時は親と年単位で喧嘩してました.

その時の親の気持ちはよくわかります。

あんなに高い学費を払って専門的な大学に行かせたのに、ふたを開けてみれば全く関係のない仕事に就こうとしたのですから。

その辺の話は長文シリーズで書いたのですが、親からすれば自慢できる息子でないことは確かです。


この仕事をすると決めたとき、個展を開き、作品集を出す、と決めました。

その過程で 『コンテストで優勝する、模型雑誌に作品を掲載できるようなモデラーになる』 というものがありました。

これはあくまで夢をかなえるために自分で考えた「目標の階段」の一段なのですが、それを考えたとき同時に思ったのは、

「模型雑誌に掲載されるようなモデラーになれば、コンテストで優勝するようなモデラーになれば、
親としては少しは誇らしく思ってもらえるかもしれない。」

でした。

親の期待を裏切ったからこそ、自分が決めた仕事で世間から認められた証を手に入れたいという思いがありました。


近所に自慢できるような仕事ではありません。

もし何かしらのスポーツのチャンピオンだったら、親も誇らしくご近所さんに自慢できることでしょう。

ガンプラは興味のない人からすればやはりただの「子供のおもちゃ」です。

以前「いつまでもそんなおもちゃばかり買って」と皮肉をいわれたこともありました。

流石に普段僕のやっていることをとやかく言われることはなくなりましたが、おそらく親の心理としては

「もう終わった。もうどうしようもない。」

という『諦め』なのでしょう。

親にはまだ2016年のこと以降の話はしていません。いつか話すつもりではいます。その時には、
息子が誇りをもって仕事をやっている、という事実だけは受け止めてもらえるのではないか。

そう信じて実績を少しづつ積み上げている段階です。



名前を残した理由。

それは、

「親からもらった 『YUSUKE』 という名前を世に出したい」

というものでした。

表記は変えましたが(大人の事情というか、なんというか・・・) あえて読みは同じにしています。

他の人のかっこいいハンドルネームを見ると、ちょっとうらやましいく思うこともありますが、
あまりに乖離したハンドルネームは、

「仮の姿」

という印象があります。

仕事をしている自分と、趣味を楽しむ自分をきっちり分ける。

そう考えると素晴らしい考え方ですし、本名がネットに出るとややこしいという人もいるでしょう。


しかし僕は 「僕」 です。 

好きなことを仕事にしました。その時自分の中で感銘を受けた考え方。


「大人がマジで遊べば、それが仕事になる。」

高橋歩さんの言葉。

僕は本気で遊んでいます。

遊んでいる僕と、仕事をしている僕は同じ人物です。あえて住み分ける必要がないのです。


ゆうすけという名前。ここまで書いておいてなんですが、あまり好きじゃなかったんですよね汗

小学生のとき、学校で先生に

「親に自分の名前の意味を聞いてきてね!それをみんなの前で発表しましょう」


という企画がありました。


ゆうすけ。。。どんな意味があるのだろう。。。


いろんな想像をしながら通学路を歩く。そして帰宅早々親に聞いてみました。すると、、

「え!?。。。あ~~・・まあ。。。元気で健康に育ちますように。。。かな。。。」


そう。特に意味がなかったのです。


正直子供ながらに本当にショックでした。

翌日クラスではみんなが自分の名前の意味を誇らしく発表している中、僕は恥ずかしいという感覚で
小声で発表した記憶がいまだにあります。

意味のない名前。正直今でも好きではありません。

※(あくまで「僕にとって」です。同じ名前の方。お気を悪くされるかもしれませんが・・・申し訳ございません。。。)


せめて 親の好きな人物と同じ名前とか、身内の人間の名前を一文字ずつもらったとか、
何かしら「待ってました!」という形で言えるものがあればいいのですが、この時の親の反応は明らかに
何の意味もない名前である、というのが露呈した瞬間でした。


あまりに子供の将来を全く考えない親のエゴの塊のような名前が蔓延る現代では、
こういうひねりのない名前は逆にありがたいという考え方もありますが・・・


いろいろ書きましたが、今ではこの名前、それなりに気に入っています。(どないやねんw)

出来ればもっと好きになりたいものです。

もっと頑張って模型界で知ってもらえるようになれば、もっと好きになれるのでしょうか。




ハンドルネーム。まあSNSが普及するまでは一般の人間が持ち得るものではありませんでした。

まさに「芸能人が持つもの」だったと思います。

今では僕のような一般人ですら持てるのです。その二つ名。もっとかっこいいものにすればいいのに。。

そいう思っていたあなた(がいたのか疑問ですが)へ。

これが僕の名前 横田ユースケ の由来です。





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⑦「嫉妬」 長文です・・・。自分の醜さと向き合える強さ

嫉妬という感情が生み出すもの。基本それは、人を傷つけるものです。

「かわいいい顔してるからって調子のんじゃねーぞ」
「金持ってるからってそんなにえらいのかよ」
「東大?いちいち自分から言ってんじゃねーよ」


それらの感情を抱くことはそんなに悪ではないかもしれませんが、残念ながらその「負」の感情を、「負」の感情のまま表に出す人がいます。

中には、今の自分の中にある負の感情が、嫉妬から生まれているということに気づいていない人すらいます。
いや、ほとんどがそうかもしれません。

だからこそ 嫉妬 という感情は、醜いものとされているのでしょう。

直接本人にぶつける人。ある意味健全かもしれません。一番正直かもしれません。


でも、それができない人がいます。なぜか。

その人より自分が劣っていることがわかっているからです。本人に、周りにばれてしまうからです。

「私よりあいつはかわいい、、、きつく当たれば私があいつに嫉妬してるのがみんなにもばれてしまう」

「金持ってない貧乏人だと笑われる。」

「学歴がないのもコンプレックスにしてるのがばれてしまう」


直接「負」の感情をその人にぶつけられない人は、じゃあその感情をどこにぶつけるのか。

全く関係のない人にぶつけるのです。

芸能人が何かやらかした。政治家のスキャンダル。絶好のターゲット。サンドバックです。

「ちょっとかわいいからって調子乗ってるからそういう目に会うんだよ!!」

「金持ってたってお前はもうおしまいだ。さっさと消えやがれ」

「学歴がよくても所詮その程度の人なんですね。」

俺だけじゃない、みんなやってる。みんなでやれば怖くない。人間の醜いところですね。


タチが悪いのは、身元が分からないからといって、何を言っても怒られない、身元なんて特定されない、自分にリスクがない という勝手な理由で、普段抱いている「負」のエネルギーを全く関係ない人にぶつけてもいいと思っている人があまりにも多いという事実。もう匿名なんて存在しない世の中になっていることに気づいていない人たちです。


嫉妬 

この言葉は残念ながら 「負」のエネルギー元として使われてしまうことがほとんどです。

負の感情は連鎖します。負の感情を受け取った人はまた別に人にぶつけます。そしてまた、、、そうやって膨大な負のエネルギーとなった塊が、時に人の命さえ奪う恐ろしいものに変貌するのです。


一応はっきりさせておきますが、僕はネットに個人の悪口を書き込んだりしたことは一度たりともありません。
関係ない人に日頃のストレスを理不尽にぶつけたりしたことなど一度も。。。とはいえませんが、ここ数年いろいろと勉強を始めだしたころからは一度もありません。


僕は嫉妬というネガティブな感情(言葉)を、ポジティブなものととらえています


僕が模型を始めたころ。今もですが、僕よりうまい人なんて今以上にいくらでもいました。

何となくレベル、スタイルの近い人。そういう人の作品を見た時の僕の感情はまさしく嫉妬です。それは昔も今も一緒です。

「畜生、、、やられた。。まじかっこいい。。悔しい!!!」


でも、あまりにもレベルが離れすぎている人に対しては、そんな感情は抱きません。

ただただ憧れ。尊敬。諦め。崇高。


これが年月を重ねるごとに、自分のレベルが上がっていくと、自分のスタイルが確立されてくるとどうなるか。

始めたころには嫉妬していた作品に対して、嫉妬しなくなっている自分がいるのです。

それは、自分が成長したという証です。

スタイルの明らかに違う作品を見ても、それを純粋に楽しめる自分がいるのです。

それは自分のスタイルがある程度確立されてきた証拠です。


そして、かつてはレベルが離れすぎていて嫉妬すらできなかった作品に対して、嫉妬している自分がいるのです。

それもまた、自分が成長している証です。


僕の場合、嫉妬できるということは、自分が

成長している、そして、成長しようとしている証」だと僕はとらえています。


もっともっとうまくなりたい。。。

モデラーは皆こう思っているはずです。

でも、中には現状どうやったって追いつけない人もいます。まさにお手上げ。

もしそういう人にいつの日か嫉妬できたら。。。それは僕自身が成長した証なのです。

だから僕は、そういう人に、作品に嫉妬できる日を目指して腕を磨いています。


僕の中には、「嫉妬」という醜い負のエネルギーを、「向上心」という正のエネルギーに変換する工場があります。

今のところ、その工場が一番うまく機能するのが模型から生まれる感情です。


自分より上手いモデラーの人に対して、いちいち負の感情をぶつけ、傷つけたりすることは絶対にしません。自分が嫌いになる。自分が醜くなる。自分の醜さがばれてしまう。

そんな時は嫉妬します。悔しい。。。。その気持ちを、自分の中の工場へ押し込みます。そしてその負の感情を正の感情に変換して自分の向上心というエネルギーとして活用します。
もし嫉妬できなくなってしまったら。

きっとその時は、自分自身、もう上手くなれないと諦めてしまったときでしょう。

そうなったら僕はモデラーとしてはお終いです。あくまで僕はですが。



嫉妬しない人もそりゃいます。そういう人を決して否定しません。その人は僕のように一度醜い感情を持たないと前に進めないような人ではなく、いわゆる「綺麗な心の持ち主」なのでしょう。



芸能人にあ~だこ~だいう人。ああいう人は、きっと芸能人という華々しい生活をしている人に嫉妬しているのです。

「ちょっとテレビで話をするだけで大金を得るなんて許せない!」
「あんなに注目されてキャーキャー言われて、、、許せない!」
「そんなにかわいくないのにモデルやってるなんて、、、私の方が可愛いのに!許せない!!」


(彼らがとんでもないリスクを背負って生きていることをわかっていないのでしょうね。)

そんな醜い感情を、もし向上心という正の感情に変換できたら。

「俺ももっとトークを磨けたら、営業成績上がるかもな。。。」
「俺ももっとダイエットして身だしなみに気を付けたら、モテるかもな」
「私もオーディション受けてみようかな。。もしかしたら人生変わるかも」


向上心という正の感情は、人に「行動」(勉強)という最高のプレゼントをくれます。
行動(勉強)しないと、人は何も変わりません。

行動(勉強)しない人を変えようなんて、そんな暇な人、神様なんていません。

嫉妬という醜い感情も、使い方によっては人生を変えてくれるほどの爆発的なエネルギーになりうるのです。
そんな工場を自分のなかに建設する方法は、

まずは自分の醜さを認める。そして自分を改善するよう努力する。そうすれば自分を愛せるようになる。

愛している自分を肯定したいから、もっと努力できるようになる。そうすればやがて心にゆとりが生まれる。

他人のこと以上に、自分を見つめられるようになる。

そうして自分を研磨していく過程で、必然的に、勝手に心がそういうものを作り上げていくのです。



残念ながら、嫉妬という感情は、意外と自覚しにくいものだと思います。

他人を攻撃する人は特に。もう癖なんでしょうね。いちいち周りを批判したり卑下するのが。安心したいのです。周りを下げることで自分が上がっているような錯覚に酔っているのでしょう。

「俺は毎日こんなに満たされていない!お前はなんでそんなに満たされているんだ!許せない!!」

たいていの場合、それは自業自得。勉強してこなかった、自分を研磨してこなかった自分の責任。今の自分は過去の自分の積み重ねからできているものです。認めたくないのです。自分に非があるなんて。自分の非も認められない弱い人です。

こういうことを言うと、「家庭環境が」とか、「病気が」とか、「事故で」とか、、、そういう事情があるならばしょうがない場合もありますよね。。。いやいや、、そういう当たり前の大前提を持ち出して何とかして抗議しようとする人たち。そんなのいちいち言わなくてはならないのか?

CMの端に「これはフィクションです」「コマーシャルの演出です」的なことをいちいち書かないと暇な人たちのストレス発散サンドバックになってしまう。



「俺はこういう人間なんだからいいじゃないか」

いいわけありません。さっさと工場を自分の中に建設してください。じゃないと周りが迷惑です。

この工場がないと、心が爆発してしまいます。その破片が人を傷つけるのです。

この工場を建設するためにいっぱい勉強しました。自分の醜さと嫌というほど向き合いました。3か月くらいで100冊以上本を読みました。地獄でしたよ。つらかったですよ。最初のころは、読むたびに自分が嫌いになるんですから。


でもそのおかげで嫉妬という感情から生まれるエネルギーを力に、僕は前に進めるようになりました。。






皆さんは嫉妬しますか?


その感情から生まれるエネルギーは、いったいどこに行くのでしょうね。

まさか家族にぶつけたりしていませんか?
恋人にぶつけたり、友人にぶつけたりしてませんか?
ネットに言葉の暴力を巻き散らかしたりしていませんか?


誰かを傷つけることにだけは使わないでください。そうやって一時的にすっきりしたとしても、それは自分のもとにブーメランのように帰って来ます。しかもより膨大になって。




自分が傷つくだけです。自分を醜くするだけです。自分を大切にしてあげてくださいね。

結果周りを大切にすることにもつながります。

そうすれば幸せの輪に入れます。みんなで。みんなハッピーです。




今嫉妬すらさせてもらえない凄腕モデラーさんは、、、、何人いるかな。。。まあ数十人いるわけですが(苦笑)


ていうか、そもそもモデラーや作品に、上も下もないんですよ。


僕が言いたいのは、というか僕の場合は、まあ順位とかではなく、

「この人のように、作品を見た人を思いっきり僕以上に感動させられるような腕がほしい!」

という「憧れ」のようなものから生まれるものだと思ってください。

あの時、初めて人前に作品をさらして、見ていく人たちが僕の作品を見て喜んでくれているあの姿を、もっとたくさんの人に、もっと思いっきり喜んでくれるように。

あの時よりもっとハッピーになれるんだったら、もっと上を目指すしかないでしょう。




自分も嫉妬してもらえるようなモデラーになりたいものですね。




※ この記事に関してのコメントはご遠慮ください。

⑥「一番大切なこと」 長文です・・・。最高にかっこいいおじいちゃん

先日母方の祖父が亡くなりました。88歳でした。

おじいちゃんは大工さんで、なんと75歳まで現役だったそうです。頼めば何でも作ってくれて、学生時代の夏休みの宿題はよくおじいちゃんに頼っていたものです。僕のものづくりDNAは間違いなくこのおじいちゃんから受け継いだものです。

今回このようなことになり、おばあちゃんと「おじいちゃん」について話しました。そして、初めて知るおじいちゃんの顔を知ることになりました。

僕はてっきり大工一筋60年みたいな感じだと思っていました。でも実は 国鉄 に就職していたということを初めて知りました。国鉄といえば立派な公務員。ボーナスも出て、順風満帆な人生を約束されたようなものだったそうです。

でも、おじいちゃんはなぜか国鉄を辞めます。そして、全く関係のない家具職人になり、そののち大工さんになったそうです。

なんででしょうね??今となっては辞めた理由なんて聞けませんが、きっとおじいちゃんは、お金より大事な物を追いかけたのだと思います。

おじいちゃんは8人兄弟だったそうです。 末っ子だったおじいちゃんは、兄弟たちに
「折角国鉄に就職したのに辞めるなんて、、、お前は貧乏人だ!!!」

と馬鹿にされ続けたそうです。そうやってバカにしてくる兄弟たちを、おばあちゃんは大嫌いだったそうです。僕も面識はありませんが大嫌いです。

そのせいか、おじいちゃんは決してムダ使いをしない人でした。家に入れる生活費は毎月きっちり必要な分だけ計算しておばあちゃんに渡し、残りはきっちり貯金。テレビも見ないし、エアコンもほとんど使わない。。。
大工という仕事はボーナスもないし、国鉄みたいに安定した高給ではないため、兄弟たちのことも相成って倹約家になったみたいです。

おじいちゃんは、たぶんそもそも初めから大工になりたかったんじゃないでしょうか?
家族が許さなかったのか、時代がそうさせたのか、勇気が足らなかったのか、、、かなりの勇気を必要とした決断だったと思います。


でもその甲斐あって、自分の旅立ちの費用や入院費、そしてやがてついてくる自分の妻の旅立ち費用など、自分で稼いだ金で自分たちの最後をちゃんと締めくくれるだけのお金を残していきました。一家の主として、職人として、こんなに素晴らしいことがあるでしょうか?

僕はおじいちゃんを心の底から尊敬しています。

でも、

おじいちゃんの生きざまを見ていて、本当に残念に思うことがあります。


おじいちゃんは晩年、認知症にかかりました。

75歳まで現役だったおじいちゃんは、退職後、わずか5年で認知症になりました。いや、前触れはもう少し前からあったはずです。

それまで別々の家で暮らしていましたが、おばあちゃんの負担が大きいので、おじいちゃんが82歳くらいの時に一緒に暮らすことになりました。

始めのうちは物忘れが激しくはなったものの、まだ僕の知るおじいちゃんでした。でも、認知症を遅らせる薬の影響か、いつも寝てばかりで、ご飯の時も眠気眼で、症状はみるみる進行していきました。

そしてデイサービスのお世話になるようになり、最後の1年くらいでしょうか・・・もう病院のベッドの上にほとんど寝たきりの状態になりました。

認知症になってしまったおじいちゃんは、自分のこともよくわかっていないようで、おばあちゃんが「この人ダレ?」と母を指さして聞くと。。。
「・・・・・・・・わからん。」

自分の娘もわからないようになってしまいました。でもなぜか、僕と姉だけは

「・・・・・・・・・ゆうすけやろ?」

なぜか覚えていてくれました。一説には近しい人から忘れていく、という話もありますので、そう考えれば僕は遠い存在だったということになってしまいますが(笑) でもやっぱりうれしかったです。

この記事を書いている今日、葬式に出席しました。2日前、病院から「もう危ない!」という知らせを夜中の1時半にもらい、急いで駆け付けたものの、着いた時にはもう亡くなっていました。それだけが心残りです。何度も「ありがとう」と伝えました。理解できなかったとしても、できれば生きている間に伝えたかった。。。。。

そのおじいちゃんは、僕の中にいるちょっと無愛想で職人の匂いのする頑固な亭主関白な男!というイメージから完全に逸脱した、骨と皮だけになってしまった別人でした。

半年前にも「今晩ですね」と言われていたので、みんな心の準備ができていたため、取り乱すことなく見送ることができました。
そう考えれば、よく半年も生きてくれたものです。

僕は昔、正社員になりたくて資格の勉強をしていた頃、

「仕事は何でもいい!とにかくみんなみたいに普通に働いて老後はためたお金で小さな模型屋さんをやろう!」なんて思っていました。


「老後の楽しみ!」とか、「退職するまでの我慢!」とか。。。良く聞きますよね?皆さんの周りにも、そんなこと言ってる人いるんじゃないですか?

でも本当に 「退職後のバラ色の生活」 なんてあるんでしょうか?そりゃある人はたくさんいると思います。「やっと仕事から解放された!好きなことやるぞ~!!」・・・素敵ですね。

でもおじいちゃんは、退職後わずか5年で認知症になってしまいました。そう。おじいちゃんは退職後、自由に過ごした5年間より、認知症を患い自由を奪われた8年間の方が長いんです。

おじいちゃんは大工という仕事に誇りを持っていたと思います。大好きたっだと思います。じゃないと、お金のためだけに75歳まで働けないと思います。そう考えればおじいちゃんの5年は、決して短いものではなかったかもしれません。

でも、40年働いて一生懸命貯金して我慢して耐えて、、、ようやく老後だ!というとき、自分の体は、はたしてその気持ちにこたえることができるのでしょうか?


認知症になる原因の一つとして、

「退職によって目標を失ってしまうことで生まれる喪失感」があるそうです。
おじいちゃんはきっと仕事を辞めてしまってから、新しく目標にできるものがなかったんだと思います。

母が小学校1年生の時、おじいちゃんは自分の家を建てました。大工としてたぶん一番の目標ではないでしょうか?それから娘は結婚し、孫も生まれ、、、、親として職人として、やることはもうすべてやってしまったんじゃないでしょうか?

もちろんそれは素晴らしいことだとは思いますが、新たな目標を見つけられなかったことが認知症になってしまった原因だと思います。



人が生きていくうえで一番大切なこと・・・・・・それは


「常に何か熱くなれるものをもつこと」だと思います。


それは人それぞれ、さらには年齢や立場によっても変わっていくものかもしれません。

彼女と過ごす時間かもしれない、子供と遊ぶ時間かもしれない、仕事にがむしゃらになって取り組んでいる時間かもしれない、趣味に時間を忘れて没頭する時間かもしれない、夢に向かって邁進する時間かもしれない。。。。

でも、一生を通じてその大半は大抵なくなってしまうものだと思います。

彼女はいつかは嫁になり、恋人だった時とは違った見方をするようになるでしょう。子供はいつか自立します。仕事はいつか定年退職をほとんどの仕事で迎えます。

人は歳を重ねるたびに、新たな「熱くなれるもの」を探し続ける生き物だと思います。それを辞めてしまった時、人は一気に老いていくのだと思います。

おじいちゃんはがむしゃらに働きました。趣味を楽しむこともろくにせず、一途に大工という仕事に人生をささげた結果、「熱くなれるもの」を失った途端、新たに「熱くなれるもの」を探す事が出来なかったようです。


僕の父はもう定年退職していますが、毎日寝てばかりです。 家を出ません。

このままでは認知症になってしまう!!!…そう思った僕は、なにか熱くなれることを見つけてもらうキッカケになれば、、、と思い、手先が器用な父のために蒸気機関車のペーパークラフトをプレゼントしました。カッターとかノリとか、、、全部で4千円くらいでしょうか。。。ぼくでも完成させるのは難しいと思うような本格的なやつです。

これをキッカケにして趣味にでもしてくれたら。。。と思って、、、。最初はせっせとやってたようですが2割くらい進んだところで埃を被る結末を迎えてしまいました。

多分父も認知症になってしまうんでしょう。。。

。。。。。。。。。。。。。。。

皆さんは「熱くなれるもの」をお持ちですか?


僕はあります。たぶんこの目が見える限り、この手が動く限り、ドップリ魅了され続けるんだと思います。

皆さんはどうですか?恋人との時間ですか?仕事ですか?家族との時間ですか?趣味ですか????

そのどれもが尊く、素敵なものだと思います。ただできれば、 一生熱くなれるものを今のうちに一つ、見つけてみてはいかかでしょうか?1人でできるものが「なお」よいかと思います。

お金はとてもタチの悪いものです。いくらあってもいくらあっても足りないと感じます。退職した時、「この先老後のためにこのお金はちゃんとおいておかないと、、、」なんて考えが間違いなく浮かぶでしょう。もしかしたら 「病気になるかもしれないから。。。」とか、、、、おじいちゃんは、お金というものに、少々縛られすぎたんじゃないかな。。。って僕は思ったんです。

今、できるだけ時間と体力があるうちに、何か行動に移しておかないと、老後時間がたっぷりあるからその時思う存分考えよう!なんてたぶんできないと思います。


人は 「今」 を生きています。

今考える 「老後」なんて、その時が来てしまえばそれは 「今」なんです。


昔テレビを見ていたら、ある芸人さんが言ってました。

『人は笑う為に生きてるんだ』

そしてまたある芸人さんはこう言ってました。

『今日という日が続けばいいなって思うんですよね(笑)』

今日という日を笑って過ごすことこそ生きてるってことなんだって思うんです。そう考えると、最後の8年間は、おじいちゃんの笑顔なんて、ほとんど見れなかったな...



人の脳は27歳から劣化がスタートする、という記事を見たことがあります。いや、脳細胞は20くらいを境に死滅する一方だ、という話も聞いたことがあります。

今マンネリに苦しんでいませんか?会社と家を往復する毎日に嫌気がさしていませんか?

「仕事」は簡単にやめるわけにはいきません。でも、どんなに忙しくても何か脳が、胸が熱くなるような「何か」を探す時間くらいはあるかと思います。マンネリは脳にとって劣化の一番の原因です。

なにも認知症にならないように何かしよう!と言っている訳じゃありません。ただ、やっぱり何か「熱くなれるもの」を常に持っている方が人生楽しいじゃないですか!!!

おじいちゃんみたいに立派な財産を残せる自信は正直ありませんが、職人として立派に散ったおじいちゃんのように、自分のケツは自分で拭けるかっこいい大人になりたいものです。


⑤「本を読まないあなたへ」 長文です・・・本当は読みたいんだけど。。。のあなたへ。

本を読まないあなたへ。。。

「お前も大人なんだから本くらい読めよ!」

こんなことを言われたこと、一回くらいはあるんじゃないですか?

営業マン時代、上司に本を渡され読んでみたものの、正直今は内容もタイトルも何もかも覚えてません。

なぜか、、、そう。これが本を読み始めるコツ。

自分で選んだ本を読むこと!

「せっかく時間とお金を割くんだから失敗したくない!オススメの本教えてもらおう!」

・・・・これではほぼ間違いなく本を習慣にはできません。なぜなら出会いに「トキメキ」がないから。

僕の買い方は。。。とりあえず端から流れで見ていって、

「お!?」

この本を手に取る。この「お!?」とは、

①綺麗
②色合いがいい
③タイトルになんか引っかかる

そして本を手に取り、表紙をみて。。。

④デザインが自分好み
⑤帯のコメントを見る

そこで初めて中を見ます。ここまでいかずに本棚に戻すのは、たぶん3割くらい。で、パラパラめくってみて。

⑥書体が自分好みか
⑦読みやすいか

そして、「初めに」つまり、最初の3ページくらいをザ!ッと読んでみます。しっかりは読まず、あくまで ザ!

学生時代、参考書を買うとき、自分的にいい感じだな。。。と思うものをレジに持っていきませんでしたか?そんな感じです。

こんなやり方でいいのか???

いいんです!!!!

最初はこの方法では、買った本の4割くらいはハズレ!ブックオフ行です。・・・いや、正確に言うと、

今の自分に合う本ではなかった」


ということ。

本とは生き物。今の自分が必要としている、知りたいこと、それを書いている本が、向こうからサインを送ってきます。それが、「お!?」です。

それは、何冊も読んでいくことによって、そのセンサー、感度は磨かれていきます。今では買った本の9割5分は「いやいや、、、いい本だったな(^O^)」となります。

僕が初めて読んだ本は、小学校のころに読んだ「ライト兄弟」いまでもよく覚えています。なぜそれを読んだのかはさっぱりです。


とにかく、本は大嫌い!!!  「マンガでいいじゃん!!!」 これが僕の27年間で出した答えです。

そこからなぜ本を読むようになったかは長文シリーズ①で。

「どんな本を読めばいいのか、どんな本があるのかが分からない!」

という方も多いかと思います。

今僕は ①自己啓発 ②心理 ③ライトエッセイ ④経営学 ⑤仕事術 などなどをよく読みます。。。まあ「娯楽」よりも「勉強」の方が割合は多いかもしれません。

Q「そんなんで楽しいの!?」

A.「めちゃくちゃ楽しいです!」

そもそも、なぜ大人たちは 本を読むことを勧めるのでしょうか?
僕は小学校の頃、先生にやたらすすめられて、その理由をこう解釈していました。

「本を読めば漢字を覚えることができるし、国語力もついて、有名な芥川とかの知識も増えるから」

つまり、学校の勉強の一環としてとらえていたのです。これでは読書を毛嫌いする方が増えて当たり前です。僕もそうでした。

読書は楽しいもの。そうでなければわざわざ金払ってまで買ったりしません。

僕が本を読む理由。それは、

「読めば読むほど、前に進む力をくれるから!」・・・ちょっとわかりにくいですか?(笑)ちょっと時間をさかのぼって説明します。

2年ほど前、読み始めたころは・・・

「20代でやるべきこと」「自分を好きになる方法」「人としてどうあるべきか」

このあたりの本が自然と目に入ってきます。
それらを少しずつ自分なりに学習していくと今度は

「好きなことを仕事にする方法」「人付き合いについて」「勉強することの意味」あたり・・・これらの本ばかり目につきます。そして今度は

「人としてどうあるべきか」「傷つかない方法」「傷つけない方法」「好きなことを仕事にすると結果どうなるか」


つまり、、、今自分が知りたいこと、知識が足りていないこと、実は全く勘違いしていたことなどなど。。。そういったことを勉強していくとどうなるか?

自分を愛せるようになる
自分が大っ嫌いだった僕が仮に何かとしようとして動き出した時、愛してもいない自分の考えを支持できるでしょうか?そんな自分の考えを受け入れることができるでしょうか?「周りが否定するから、、、やっぱり自分の考えは間違ってるんだろうな。。。」となってしまいます。

すべては自分を愛するため。これはボクだけに当てはまることじゃありません。そしてその結果周りも愛することができる。一番近くにいる自分すら愛せない人間に誰かを愛するなんて無理です。自分を愛することができれば自分の決断に自信が持てる。だから進める。

人はいつだって迷う生き物です。「俺のこの道は正しいのか?」「夢への道はこれで合ってるのか?」

迷った時、最後に信じる事が出来るのは、たくさん勉強して貯めた「知識の引き出し」を駆使して出した答え。同じ人間と毎日顔を合わせ、毎日同じことの繰り返し、そこに一石投じる気がない。。。この刺激のない毎日で、「知識の引き出し」を増やすことができますか?

本はわずかな代償を支払うだけで、普段の生活ではなかなか得られない情報を教えてくれます。その情報は、ネット上であふれている責任を伴わない軽く無責任な情報とは違います。

本を出す人に共通していること。それは

「本を出した人は、自分が直面したピンチ、挫折を味わった出来事を克服した方法をみんなにも知ってもらいたい!」

この共通した想いのもと、本を書いている場合が多いと思います。(純文学、小説などを除く)

人を愛する方法。こんな本を書いている人は、大抵過去自分を愛せないことで苦しんだ経験をしている人です。
でもこの人はそれを乗り越えた。自分と同じ境遇で苦しんでいる人を救いたい。。。

好きなことを仕事にする方法。こんな本を書いている人は、大抵やりたくない仕事をしてやりがいのない毎日に苦しんだ経験をした人が多いです。

そう。今あなたが抱えている悩みなんて、過去に誰かがすでに経験していることなんです。その乗り越え方なんて、本屋に行けば大抵あるんです。



さて、ここまで読んでいただいたあなた。こう思っていませんか?

「俺、別に悩みなんて無いけど・・・ということは、本なんて読まなくていいんじゃん!」

いえいえ。。。それは誤解です。

悩みがない。それは人とし決して「いいこと」ではありません。悩みがないということは、「挑戦していない」可能性が大です。
日々を惰性で過ごしている人は、今の自分にある種の諦めを抱いている人が多いのではないでしょうか?僕がそうでした。

「俺は凡人。天才じゃない。仕事なんてこんなもんだ。友達も同じようなこと言ってる。俺だけじゃない。」
「仕事は嫌なもん。好きなことを仕事にするなんて非現実的だ。そんなこと成立するのは選ばれた一部の人間。俺は違う。」
僕はそう思ってました。自分を凡人だ、と諦めることで、悩むということから解放された(逃げた)のです。

でも僕は毎日悩んでいます。いろいろです。書ききれません。心折れそうになることもあります。

でも、はっきり言えることは、

「惰性で毎日過ごし、悩みなんて無かった頃に比べて、毎日悩んで苦しんでいる今の方が圧倒的に人生楽しい!!!」ということです。

先日オークションに出品した際、落札者様からこういったメッセージを頂きました。

「全身全霊で創られる真のモデラーさんだと感じます。」
「大事に展示させて頂きます。好い作品に巡り合えて幸せな気持ちです。ガンプラでココまで高揚するのは久しぶりでございます。」

このメッセージを見た時、心臓の鼓動が早くなるのを感じました。そして、数日間の苦労がすべて吹き飛ぶ高揚感、圧倒的幸せが僕の脳を駆け巡りました。

こんな幸せを感じることができるようになったのも、読書に出会ったことがすべてのキッカケです。

仕事でこんな幸せを感じることができるなんて。。。知らない世界に本が導いてくれたのです。

セミナーに3万円かけて行くのもいいでしょう。一人旅に50万かけて出るのもいいでしょう。でも、、、1000円札一枚、500円玉1枚で知らない世界への扉が目の前に現れるのだとしたら。。。。。。


「1冊読んだ。でも何も変われない。。。。」  この時点で読書を辞めたらダメです。僕は行動に移すことができるようになるまで100冊近くかかりました。
人は寝てしまえばすぐに感動なんて忘れます。次の日には前日の50%程度の感動が1%程度になってます。3日目には、、、

だから、1%になった日にまた読んで51%にしてください。

そうやって少しずつ積み重ね、100%を越えたとき、きっとあなたは自分の知らない世界への第一歩を踏み出すことができると思います。
別に転職を勧めている訳じゃありません。今の仕事にも知らない世界、やりがいがあるかもしれません。それを追求してからでもいいと思います。でも、それでもやっぱり今の仕事、人生に飽いているのなら、、実は本当にやりたいことがあるのなら。。。

一度100%を越えたら、数日はそのままでいられます。でもあくまで数日。せいぜい3日か4日くらいでしょうか?その間に行動に移してください。


「やりたいことがない。趣味もない。」
「今の仕事にやりがいがない。どうしてもうまくいかない。」
「自分が嫌いだ。」
「何をしたらいいかわからない」
「自分に何ができるのかわからない」

キッカケなんてこんなもんです。何でもいい。彼女に振られた理由がわからない。友達がいない。何でもいい。わからない問題があったら手を挙げて先生に質問したあのころのように、本屋に行ってみてください。

最初にレジに持っていった本が、そして100%を越えさせてくれた本があなたの運命の1冊として、一生の宝物になると思います。



④「成長」 長文です・・・ボクという人間。



僕は自慢じゃありませんが、友達が少ないです(笑)
多分人によっては孤独死してしまうのでは?というくらい少ないと思います。

原因は何だろう。。。と考えてみると。。。まあそんなもんいろいろあるわけですが、根っこの部分を掘り下げてみると・・・・

ぼくの親は転勤族でした。幼稚園を2つ、小学校を3ついきました。当時の僕は筋金入りの人見知り。。。ご想像の通り、地獄でした。
特に、方言を笑われるのは本当につらかったです。小学校6年生の時、神戸に引っ越してきましたが、関西特有の「いじり」というものに、日々苦しみました。

自分の愛する町の言葉を笑われる屈辱、言い返せばその方言をまた馬鹿にされる。。。「いじめ」ではなかったのですが、十分つらい体験でした。特にクラスメイトの女の子に毎日のように方言をバカにされました。
最初の4か月くらいでしょうか・・・休み時間は、廊下に椅子を持ち出して、窓から校庭を一人で眺める毎日を過ごしました。

担任の先生には、本当に心配をかけましたね。

だから、という訳ではないかもしれませんが、人と話すことがあまり好きな子供ではなかったような気がします。

1人でいれば傷つかずに済む、1人でいればなんだって自由じゃないか!そう考えていたような気がします。

中学校に上がると、吹奏楽部へ。なんと男子が同学年で1人。友達がいなかった訳ではありませんでしたが、どうしても音楽が好きだったので、、、当時はまだ女の子といれる喜びよりも、男友達と一緒に楽しく過ごしたい!という思いの方が圧倒的に強く、部活中にほかの部活をのぞいたり、1人でうろうろ動き回ったり、、、
しかも3年になったら部長なんてやりだすものだから、余計に孤立したような気がします。
嫌われ役ですからね。。。言う方も子供、言われる方も子供。いい思い出もありますが、中学3年間は「孤独」という印象が強いですね。

高校。部活は入らず帰宅部。ちなみに、高校の友達と今現在交流はほぼ皆無。高校時代はおこずかいをひたすらマンガに費やしました。マックスで1200冊。それだけが生きがい!くらいに思っていたかもしれません。
友人に「将来はマンガ喫茶でもやれば?」なんて言われる始末。あとはカラオケ、ゲーム、くらいでしょうか・・・模型は3年間で4個くらい作ったかな?ほぼ覚えてません。。。

大学。建築大学に行きましたが、結局すぐに興味を失い、日々を惰性で消化 する毎日。
大学時代の友達は、今は2年に一回くらいお呼びがかかりますが、2回に1回出席する程度。というか、学生時代に大学の友人と遊んだのは、多分5回もなかったはずです。誘われても断ってました。ちょっと自分だけ場違いな空気というんでしょうか・・・居心地が悪かったかもです。それでもいまだに誘ってくれるのは本当に有り難いです。

学生時代、こんな16年をすごした僕は、1人の時間を過ごすことに「苦痛」よりも「安心」という感覚を覚えるようになりました。
1人でいられない人っていますよね?僕からしてみれば「そんなにみんなといて疲れないの??」とさえ思ってしまいます。

1人でいる時間。。。実は本当に大切なものだとも思います。
一人でいる時間は、自分を見つめられる時間です。僕の趣味は 模型(今は仕事)読書、ギター。。。全部一人でできるものばかり(笑)年をとればとるほど、尊いものだと思います。

ただ、友達が少ないことを悲観した時期も当然あります。いや、人生の割合で言えば、そっちの方が多いです。とくに学生時代は。(今はもうないかな?)

なんでこんなことになったんだろう。。。

そんなの決まってます。

僕が「一緒にいたいやつ」じゃなかったからです。

中学生くらいの時、姉に言われたことがあります。
「あんたは人を見下してる!」

正直全く理解できませんでした。でも、多分そうだったんでしょう。そんな気はもちろんありませんでした。僕はコンプレックス満載の人間です。自分じゃ気づかない自分のこと。正直怖いですよね?


高卒の友人のそばで高卒の人のことを悪く言ったり、頭髪の悩みを抱えている友人に対して傷つくことを平気で言ったり、、
もちろんそんなこと言ってはいけないのは分かっています。でも、後になって(あんなことなんで言っちゃったんだろう。。。)ということが山ほどあります。

ざっくり言ってしまうと、僕は 「自己中」「空気が読めないイタイ人」なんでしょう。

新卒の時、営業職に就きました。「家の外壁塗装しませんか?」という飛び込み営業です。
毎日先輩の横で泣いていました。
「自分がこんなにできない奴だったなんて、思いませんでした。」
「なんであんな事言われなきゃいけないんですか?仕事一生懸命してるだけなのに・・・」

もう毎日愚痴ばかり。。。今思えば毎日僕以上に仕事をこなし、毎日ヘロヘロになるまで働いていた上司に対し、うんざりするほどネガティブなワードを一方的に投げつけていました。
「いつも泣いてばかりで、迷惑かけてすみません。」と言った時、「自覚できてるなら大丈夫やで」とその上司は言いました。自覚できてるなら???できてなかったらやっぱり迷惑だったんでしょうね汗

同期にこんな人がいました。

一番僕と仲がよかったのですが、彼から出る言葉は会社の悪口、先輩、上司の悪口ばかり、、、
「アイツ嫌いやわ!!」「なんでこんなことせなあかんねん!」「こんなはずじゃなかった・・・」「あ~~辞めたい!!」

ある日上司に「お前ら今日1日一緒に回れ!」と言われました。地獄の1日でした。

僕がチャイムを鳴らしお客さんと話しているときに、後ろでお客さんをにらみつけるようなまなざしでふて腐れて・・・仕事に結びつくわけありません。丸1日愚痴を僕に浴びせ続けました。

「じゃあ今すぐ辞めろや!」

これが言えたらどんなに楽か・・・・
結局その日の最後に、上司に「彼とは一緒に回りたくありません」と言いました。

彼は結局一か月で退職。最後は上司に怒られてそのままやめました。ネガティブな空気は伝染します。後日彼から連絡がありましたが、結局新しい会社の愚痴ばかり。。。上司に退職届を出すよう迫られているという内容の電話を1時間ほど続けられました。

周りの環境を変えても、自分自身が変わらなければ、結局何も変わらない。
「今の自分が満たされていないのは、周りの環境が悪いからだ!俺は悪くない!・・・・・」

ちがいます 。 もちろんブラック企業というものがある以上、仕方がないケースもありますが、(僕のいた会社も県内では有名なブラック企業でした)それに甘えていては何も変わりません。

。。。でも、それに近いことを、上司に僕自身やっていたのです。

結局お世話になったその上司に、何も恩返しすることなく2か月で退職しました。2か月間、ただただ僕の愚痴をやさしく聞いてくれた上司に、仕事ができない僕を守り続けてくれたその人に。。。

この時、僕は自分が大嫌いになりました。

あと一か月続けていたら、完全に心をやっていたと思います。2か月で辞めてよかったです。

僕の心を完全に折った出来事があります。

たまたまチャイムを鳴らした家が、なんと中学時代の美術の先生の息子夫婦の家だったのです。
目があった瞬間、「あ~久しぶりですね!」お互いすぐにわかりました。
しばらく雑談した後そのまま別れましたが、後日その近所でチャイムを鳴らそうと家を物色しているとき、庭に出ていた先生に呼び止められこう言われました。

「横田君、なんかどろぼうみたいやで!」

俺が毎日苦しんでいるこの仕事は、世間から見たがどろぼうと等しい行為なのか。。。
実はその後、実際にチャイムを鳴らした家の奥様に「あんたしつこいねん!どろぼうに入る気か!」と言われました。


人と会話をする。いままで人よりその経験値が低かった僕は、ますます人と会話することが苦手になりました。(なぜか人見知りは若干治りましたが。。。)

人生で経験したアルバイトは、工場、工場、工場。。。。人と会話しなくて済む仕事ばかりです。

「周りの環境を変えても、自分が変わらなければ何も変わらない」

社会は僕のような人間を必要としていませんでした。
勤め先を変えても、結局長くは続かない。上の3つの工場のうち、1つは上司とケンカ、もう一つは人間関係にうんざりして辞めています。

「このままではだめだ!」

そう思ったきっかけは正直覚えていませんが、バイト生活を卒業しようとして、資格を取ろうと思い立ったのがすべての始まりでした。その頃は「必要とされる人になりたい!」なんて大それた感情はなく、とにかく人として何とか社会に溶け込まないと。。。くらいのものでした。

いくつか資格を取り、自分に少しずつ自信を抱くようになった頃、読書に出会い、これまでの自分に向き合う機会を得ました。というか、ほぼ毎日向き合っています。

正直地獄です(笑)

自分がどれだけ醜い人間なのか、、、それをまざまざと突きつけられるのです。何度同じような本を読んでも、「また同じ失敗してるな、俺・・・」という具合に。。。
僕はノートに取りながら本を読むのですが、読み返すのが正直怖いです。

これまでたくさんの人を傷つけました。家族、友人、仕事仲間。。。こうやって書きながら思うことは、「後悔」がいつも大半です。僕がこんな感じでたまにだらだら長文を書くのは、自分を改めて活字におこすことで見直す機会を得るためでもあります。

ただ、「後悔」というネガティブな感情は、決して何も生まないわけではありません。

後悔するからこそ、嫌な思いをするからこそ、人は「二度とこんな後悔したくない!」と、学習できます。というか、学習しないと相手を傷つけてまでした経験が、本当に無駄になってしまいます。そしてさらに、新たな傷を相手に与えてしまいます。

人は簡単には変われない。これは残念ながら真実だと思います。だけど、だからと言って、自分自身をより良い方向へ変えることを怠けていてはいけません。言い訳にしてはいけません。

(ちなみに。。。冒頭でぼくの方言をいじってきた女の子。。。その3年後、中学3年生の時、ジョーダン交じりにそのことをその子に話したところ、自分が僕をそんなに傷つけていたということに驚いたようで、後日謝罪の手紙をくれました。)

自分自身が変わらなければ、環境を変えたところで何も変わらない。

人は、「何か大切なものを失ったことに気付いた時ようやく変わるきっかけを得ることができる」生き物なのかな・・・と思ったりします。

僕が今の仕事にする決心をすることができたのは、高橋歩さんの語録集「夢は逃げない 逃げるのはいつの自分だ」の中の言葉

「嫌だからといって会社を辞めるのは逃げ?嫌なことを続けることの方がよっぽど逃げだぜ!」
この言葉のおかげで僕は今の仕事につくことができました。なぜこの言葉で決心出来たのか。。それは

「多大な時間を失ったことに気付いたから」です。

もっと早く模型に専念していれば、僕の夢はもっと近くまで迫っていたかもしれない、、、今のレベルに数年前に到達していたはずなのに。。。

もう失った時間は戻りません。毎日惰性ですごし、「早く終わらないかな・・・」以外の感情がほとんど欠落していた数年間。本当に無駄な数年間でした。


僕と同じ経験をしてほしくない。せめて僕のことを知っている人には。でも、残念ながら「他人」を変えることはできません。そもそも、そんなものは有難迷惑なものです。

自分自身、大切なものを失った時、そういった実体験がないと、そして失ったことに気付かないと、人は変われないんだと思います。

だれでもこんな時期はあるのでしょうね。

僕は多少長すぎたのかもしれませんが、そんな自分を最近は許せるようになりました。
責めても仕方ありません。僕は寝る前、自分をほめて寝ます。

「今日は良く頑張った!」「部屋綺麗に掃除したな!えらいぞ!俺!」「間食我慢したな!良くできた!」

カンペキな人なんていません。自分を程よく許し、寝る瞬間、今の自分の持っている「幸せ」を噛みしめて明日を楽しみに妄想しながらいつの間にか眠りにつく。。。後悔は寝る直前にはしません。

こんな自分を愛する。愛している自分の決断だからこそ、自分の決断に誇りや自信が持てる。出来ることならもっと愛したい!だからこそもっと勉強して、もっと反省して、もっと成長して。。。

少しでも必要とされる人になるために、自分の悪い部分を認め勉強し、できればこれからは「失う」前に、自分のやるべきことをやっていきたいと思います。